最近、「痩せた??」と聞かれる事が度々あります。
最初ははぐれっし部のまほさんだったかな?まなんぐさんにも言われましたね。仕事場の社長に話をしたら、「確かにアゴがシュッとなった気がする」との事。
ふと思った事。
中型免許が欲しいっ!!
いや、昔で言うところの「中免」は持っています。だって、今はXRに乗っているでしょ??(^ ^)
欲しいのは車の中型免許。
昭和の時代に車の免許を取ったので、一応「中型限定」ではあります。なので、レンタカーで借りられる程度のトラックなんかは運転できます。中型にすると運転できるようになるのはマイクロバス位??
本当は大型免許があっても良いかなぁ?とも思うのですけれど、時間もお金もない。
今の車の免許を中型にするという事は「限定解除」なんですって。あこがれの言葉ですよね、限定解除(笑)
マイクロバスを運転してみたいんだよなぁ。その機会は年に1回もないけれどね。。。
先日、名古屋まで出かける事がありました。で、レンタカーを借りたんですね。
借りた車はトヨタのノア。だいぶ前の形の奴です。
新横浜でレンタカーを借りて、集合場所の品川まで1人で運転していました。この時の印象は「ずいぶんゴツゴツ感がある足だなぁ」と思っていたんです。
品川で6人を乗せて、計7名乗車。街中は普通に走っていました。
用賀から東名に乗って名古屋を目指すのですが、その時は「ん?ちょっとフワフワが収まらないな」という程度でした。大井松田から左ルートに入ったのですが・・・怖いっ!
7名乗車で車重が増しているのですが、コーナーでフワフワだけじゃなくてヨロヨロするぅ?。ピッチングとローリングが収まらないぃ?!(笑)
さすがに同乗者には黙っていましたけれど、東名のコーナーをいくつか曲がっただけで冷や汗でした。もちろん、その先は路面のうねりが少ない新東名を選んだのは当然です!(^ ^)
分かっていても、いなさJCTでぐるぅ?っと回る時はほんとに怖かった。スピードも落とすだけ落としても感覚的には「どこに走って行くんだろう、この車・・・」っていう感じでした。
STEPWGNではバイク2台積み+3名乗車とかをやりましたけれど、こんな怖さは感じなかったなぁ。重さだけならこっちの方が重いはずなんですが。
今回は3列目に3人乗りましたからね。オーバーハングに3人というのも効いているのでしょうね(^ ^)/
昨晩、カンヌの広告祭(正しくは「カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル」っていうらしい)のサイバー部門で銀賞を受賞し、クリエーターの真鍋氏が出演するセミナーに3人娘がゲストとして出演しました。その模様はUstreamでライブ配信されたのですが、皆さんはご覧になりましたか??
凄い。
3人娘をキャンバスに見立てて、映像を3人に投影する・・・技術面はどうでもよいです。とにかく美しいパフォーマンス。圧倒されましたよ。
セミナーの中で真鍋氏が「3Dデータを公開しても、誰もが作品を作れるわけではない」という発言をしていますが、確かにその通りです。クリエーターと呼ばれる人達が真面目に遊んでいます。
ここのところ、3人娘について感じていたのは、「3人」という素材があって、音楽の中田さんとか、コレオグラファーのMIKIKOさんや、映像を創ってきた人達が創造性を最大限使って作品を作り、今度は「3人」が触媒となって表現してみせる。それをファンが支持し、更にクリエーターが次の領域に飛び込んでいく・・・という凄いループができていると思うのです。
素直な気持ちで、「次が観たい」。
次の世界を観たいと思わせてくれて、3人娘だけではなくTeam Perfumeと、彼女達をきっかけにこれからでてくるであろうクリエーターにはキチンと対価を払って、さらなる世界を観たいと思わせる。
そんな3人娘とTeam Perfumeを知ることができて幸せです。
今頃になって初めて聞きましたよ、電気グルーヴのイルボン2000。
なんかORANGEに馴染めなかったのと、それ以降は仕事とかも色々とあった時期でもあり、ちょっと離れていた頃のCDなので入手していませんでした。
初めて聞いた感想は・・・「なんで今まで聞かなかったんだろう?」
ハッキリ言って、損をしていました。聞いていなかった事を後悔しました。凄いや。
これが13年前??信じられないクオリティの1枚。
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ちょっと前に話題になったネタ(^ ^)
横浜市が幼稚園や保育園に入りたくても入れない「待機児童」を0とすることに成功したというニュースがありました。
お母さんが働きたくても、子供を預ける事ができなくて働けないという待機児童の問題。横浜市の市長さんは女性で、日本最悪と言われていた横浜の待機児童数解消に取り組みます。
その結果、4月現在での待機児童数は0になったのだそうです。
この待機児童のカウントの仕方は実情を正しく反映していないとか、横浜市の様に待機児童解消に多額の予算をかけられる自治体は多くないと言った声もありますが、まずは評価しましょうよ!
少なくとも、同じ基準でカウントされた他の自治体より待機児童が減ったのですから。
私には子供がいませんが(嫁もいないが・笑)、仕事場のある新横浜の公園は子供がたくさんいますよ!
小さな子は数人がまとまって大きな籠のついた台車でゴロゴロと運ばれて(笑)
ちょっと大きな子は手をつないで公園までお散歩したり、広場で遊んだりしています。複数の施設の子供が集まってくるようですが、その数は100人を超えているはず。この光景を見ていると、「少子化なのか?」と思うほどですよ(^ ^)
少子化には私の持論があるのですがそれは別の機会としますけれど、縦割り行政があって簡単には解決できない壁を少しでも打ち破ったのですから。
先日、秋葉原の話を書きましたが、もうひとつ。
20代半ばの頃、出向先の会社で開発チームに入れてもらって、一緒に組んでいた社員さんに聞いたお話です。この方は宮城県石巻市のご出身。工業高校から大学の工学部に進んだ経歴をお持ちの方でした。
「遠藤さん(本名ですよ!)が羨ましいよ。だって、小学生の頃にラジオを作ろうと思ったら、すぐに秋葉原とかで部品を買えるでしょ?経験が違うんだよね」との事。
それまで全然意識をした事はなかったのですが、私が初めてラジオを作ったのは小学校6年生の夏休み。同級生でも何人かはラジオを作ったり、時計を作ったりしていました。
私は川崎に住んでいますが、自転車で1時間ほど走れば部品屋さんがありました。また、電車に1時間も乗れば秋葉原もありましたし、横浜の石川町にも部品屋さんが何軒もありましたから、部品の調達で困ったことはないです。
でも、秋葉原とか大阪の日本橋,名古屋の大須といった電気街から遠い場所に住んでいた方は、何かを作ろうと思っても、部品や工具,それ以上に今みたいにネットがありませんでしたから情報がなかったのだそうです。
電子工作の雑誌(ラジオの製作とか初歩のラジオとか)を買ってきて、相撲の番付表よりも小さな文字で印刷された通信販売で部品を探す。運良く部品があっても、入手まで1週間とか2週間かかるのだそうです。
この方のお話では、本格的に何かを作る事が出来る環境になったのは大学生になってから。大学で東京出身の方と一緒になったのだそうですけれど、知識とか経験が全然違うと感じたそうです。ハンダ付けひとつとってもね。
更にこんなことも言われていた記憶があります。
「地方だと技術者が育たないよ。何かを作りたいと言っても、その準備段階から大変だから」
今はインターネットと物流の発展で、部品の入手性については昔ほどの差はないように感じます。また、技術者の分野もハードウェアだけではなく、ソフトウェアともなれば極端な話、どこででもできる。
とはいえ、やはり思いついた時にパッと情報が手に入って、部品が手に入り、実験ができるという環境は小さな事ですけれど後々大きな経験の差となってきます。先日も書いたとおり、相談しながら買い物ができるという環境はかなり重要です。
私のとっての「物作り」とは狭義の意味あいが強くて、電子機器のハードウェアを指すのですが、日本の弱くなったから子供が設計に勤しむ環境が無くなったのか、環境がなくなったから技術者が育たなくて日本の物作りが弱くなったのかは分かりませんが、経営面を別とすれば今の日本が物作りで巻き返すのは難しいと思いますよ。
仕事場の前にあるドラッグストア。飲み物が安く買えるし、タバコも売っているので近所のコンビニより利用率は高くて、毎日買い物に行きます。
1ヶ月位前に、レジでパートのお姉さん(私と同年代??)に「いつもありがとうございます」と言われました。その時は、てっきり毎日買い物に行っているからだと思ったのです。でも、次の一言で頭の中が「???」となりました。
「いつも助かります!」
何の事だか分かりません。何か助ける事をしていたっけ??(^-^)
その次に言われたのはこんな事でした。
「バーコードを読みやすいように品物を並べくれるのはお客さんだけです」ですって。
私、全然意識していなかったのですが、このドラッグストアに限らずコンビニとかでもバーコードを読みやすいようにペットボトルは横に寝かせるとか、バーコードの向きを揃えるように並べていたみたい(笑)
なので、レジが混んでいる時は助かるのですって。
このドラッグストアには多くのレジ係の人がいるのですが、比較的年齢層が高いお姉さん達は皆さん気づいていた様で、この1ヶ月の間に4人のお姉さん達から同じ事を言われました。
言われたからではないのですけれど、「そ?なのかなぁ?」と思って自分のやっている事を意識してみたら、家の近所のコンビニでも馴染のパートさんに「いつも並べてくれるよねぇ?」って昨日言われました。
あぁ、そんなんだ。別に造作もない事なんだけれど、他の人は良く見ているのね!だって、本人が気づいていないんだから(笑)
行ってきましたよ、Monster Energyさんのイベントで、Ken Block’s TOKYO EXPERIENCEにっ!
サイコー。凄いイベントでしたよ!
では、フォトギャラリー(^ ^)/
タイヤ、いっぱい!(笑)
たぶん、ken Blockのタイヤだけで20本位ありましたよ。
最近、動画の空撮に使われているラジコンヘリ(?)
お台場って、10m位上空から上は変な風が巻いているそうなのですけれど、凄く安定していました。
昔、ラジコンヘリ(エンジン機ね)で挫折した私は・・・これ欲しい!
会場入り口ではMonster Energyの無料配布あり(すぐに無くなったけれど)。
ゴミ箱は当然Monster Energyばかり(笑)
※右隅に1本氷結あり。Perfumeファンである事を願う!(笑)
無料のイベントで会場の出入りが自由だから、近所のコンビニまで買い物に行けます。ミネラルウォーターの販売(売り切れたけれど)しかありませんでしたよ。
でもね、軽食とドリンクの販売(Monster Energyでいーから)は欲しかったなぁ?
MX VIRUSとかBULLYを始めとする10名のライダーが飛んでくれました!
久々に見た、VIRUSのバナー。でもね、Eigoさん思い出して、ちょっと泣けた。
以前お台場で開催されていたMULTIPLEXに比べると、小じんまりした感じ。
ドリフトイベントもあって、D1でお馴染みの鈴木さんがMCをしていましたけれど、ポロっと言っちゃった。
「トップドライバーは集められませんでした・・・」
でも、10代のドライバー10人と女性ドライバー6人のコンテストは結構見ごたえがありましたよ。
FMXもね、X GAMESとかRedBullのイベントを見ているとランプとかも小さくて、迫力はちょっと欠けます。
でも、目の前数mの所からテイクオフしてフリップを決めていくDaiceとかBUPPERを見ていると、やっぱり生は違うなぁ?と。
※笑っちゃったのは、Daiceがバイクを左右にブルブルとゆすりながらフリップを決めたのが1回ありました。地味だけど、初めて見たので面白かった!
Ken BlockのGYMKHANA GRIDも、走行エリアが狭いから本領は発揮できていないでしょう。それでも、Fiestaの加速はすさまじい。普通のドリフトイベントでは見られない楽しみがありましたよ。
イベントに贅沢は言っちゃだめですよね。だって、Monster Energyさんの無料イベントですもの。
お客さんもMULTIPLEXに負けないくらい集まっていたし、東京のイベントでも盛り上がる事が再認識されればMULTIPLEXとかGAMES TOKYOが復活するかもしれない。そうなれば、より魅力的なイベントになる可能性はある訳です。
Monster Energyさん、ありがと?!!(^ ^)/
余談。
意外だったのは、FMXのステージが終わったら結構多くのお客さんが帰った事。その前にもKen Blockは1本デモランをしているし、暑いし・・・でお腹一杯だったのかな?
てっきりKen Blockが目当てのお客さんばかりだと思っていたから、FMXのお客さんも多かったのはちょっと嬉しかったですよ。
さて、今日の暴言です(^ ^)/
私が初めて秋葉原に行ったのは、たぶん小学校1年の時ですから1975年かな?父親に連れられて当時流行していたTVゲームを買いに行った時でした(テーブルテニスとかの時代ですね)。
自分の意思で、自分ひとりで出かけるようになったのは中学1年の頃。1981年くらいです。
当時は無線少年であり、マイコン少年だったので毎週のように電車に乗って秋葉原へ行き、NECのBit-innとかヤマギワさんに通っていました。その頃はPCが自宅にあるなんて富豪だけだったので(?)、お店で使わせて貰うのが普通だったのですね。
同時に、よくラジオや無線機の部品を買いに行っていました。
部品屋さんのオヤジさんやオバサンは無愛想だけれど、情があってね。部品の型番等を書いたメモを持って買いに行くじゃないですか。分からないなりに一生懸命「これ下さい・・・」ってお願いしてると、面倒だなぁという雰囲気を醸し出しながらもテキパキ部品を揃えてくれて、「ほれっ」という感じで品物を出してくれるのですけれど、最後には「またおいで!」とか「うまく作れなかったら持っておいで」なんて言ってもらえたんですよ。
当時は台湾がまだ今ほど工場なんかが発展していなくて、中国語しか話せないオバサンとかが部品の買い出しに良く来ていましたね。目の前で数十万,数百万円単位の部品をキャッシュで買っていくのです。
だから、1坪位の売り場しかないお店でも、年商数億なんて当たり前だったようですね。
そんな商売ができていましたから、中学生の私が200円とかの買い物に行ってもゴミの金額にもならない訳ですよ(笑)
でもね、そんな私達でも数十万円のお客さんとは笑顔の頻度こそ多少は違っても、同等に扱ってくれたんです。
90年代半ばからPCの自作ブームがあり、アニメ系のお店が進出するようになって、新たなる活気が生まれてきたのですけれど、なんか違う街になっちゃった。無愛想だけれど、情のあったお店はドンドンなくなり、接客態度はとても良いけれど、なんか違うな・・・と。この頃からよほどの事がないと秋葉原に行く事はなくなりました。
2000年くらいだったかな、仕事で買い出しに行った時に店長さんとお話したんですよ、「だいぶ変わりましたよね」って。そうしたら、その店長さんが言うには「お客さんは増えたかもしれないけれど、面白くない。お兄さんは子供の頃から秋葉原に通って、物作りの仕事をしているんでしょ?一目見れば雰囲気でわかるよ。そういうプロがいなくなっちゃったんだよなぁ」なんだそうです。
秋葉原は戦後の闇市からはじまって、米軍放出の電気部品を扱った店があった事から発展したのだそうです。時代とともに移っていくのが秋葉原。だから、アニメとかアイドルブームの街になっても良いとは思うのです。でもね、私が慣れ親しんだ秋葉原は終わっちゃった。
最近、横浜の部品屋さんに仕事の試作で使う部品を買いに行きます。昔の秋葉原程ではないけれど、程良く昔の雰囲気が残っていて、「こんちは?!」ってお店に行って「こんな部品が欲しいのだけれど、どんなのがありますか?」なんて相談しながら買い物ができる。
スペックが分かる半導体とかならChip1StopとかDigikeyといった少量多品種を扱うサイトが頑張っているのですけれど、困った時に相談に乗ってくれる部品屋さんは試作をやっている時は本当に助かります。
こういう雰囲気が無くなったら、これから設計の仕事をしようと思う人はいなくなるかもしれないですね。ちょっとさみしい。
でもね、一つだけ秋葉原でも嬉しい事があったんですよ。
まだ若い女性が一人で工具屋さんとか部品屋さんで買い物をしている姿を見かけるようになりました。メイド系の服とかじゃなくて、でも地味じゃないキレイ系のお姉さんが真剣な眼差しでハンダごてとかを選んでいたり、部品を買っている姿を見かけるようになりました。
昔のやっちゃば(青果市場)があった頃には考えられない事ですけれどね(^ ^)
こういう面では、良い感じでハードルが下がったのかもしれない。それだけが嬉しい事かな(笑)