先日、秋葉原の話を書きましたが、もうひとつ。

20代半ばの頃、出向先の会社で開発チームに入れてもらって、一緒に組んでいた社員さんに聞いたお話です。この方は宮城県石巻市のご出身。工業高校から大学の工学部に進んだ経歴をお持ちの方でした。

「遠藤さん(本名ですよ!)が羨ましいよ。だって、小学生の頃にラジオを作ろうと思ったら、すぐに秋葉原とかで部品を買えるでしょ?経験が違うんだよね」との事。

それまで全然意識をした事はなかったのですが、私が初めてラジオを作ったのは小学校6年生の夏休み。同級生でも何人かはラジオを作ったり、時計を作ったりしていました。
私は川崎に住んでいますが、自転車で1時間ほど走れば部品屋さんがありました。また、電車に1時間も乗れば秋葉原もありましたし、横浜の石川町にも部品屋さんが何軒もありましたから、部品の調達で困ったことはないです。
でも、秋葉原とか大阪の日本橋,名古屋の大須といった電気街から遠い場所に住んでいた方は、何かを作ろうと思っても、部品や工具,それ以上に今みたいにネットがありませんでしたから情報がなかったのだそうです。

電子工作の雑誌(ラジオの製作とか初歩のラジオとか)を買ってきて、相撲の番付表よりも小さな文字で印刷された通信販売で部品を探す。運良く部品があっても、入手まで1週間とか2週間かかるのだそうです。
この方のお話では、本格的に何かを作る事が出来る環境になったのは大学生になってから。大学で東京出身の方と一緒になったのだそうですけれど、知識とか経験が全然違うと感じたそうです。ハンダ付けひとつとってもね。

更にこんなことも言われていた記憶があります。
「地方だと技術者が育たないよ。何かを作りたいと言っても、その準備段階から大変だから」

今はインターネットと物流の発展で、部品の入手性については昔ほどの差はないように感じます。また、技術者の分野もハードウェアだけではなく、ソフトウェアともなれば極端な話、どこででもできる。
とはいえ、やはり思いついた時にパッと情報が手に入って、部品が手に入り、実験ができるという環境は小さな事ですけれど後々大きな経験の差となってきます。先日も書いたとおり、相談しながら買い物ができるという環境はかなり重要です。

私のとっての「物作り」とは狭義の意味あいが強くて、電子機器のハードウェアを指すのですが、日本の弱くなったから子供が設計に勤しむ環境が無くなったのか、環境がなくなったから技術者が育たなくて日本の物作りが弱くなったのかは分かりませんが、経営面を別とすれば今の日本が物作りで巻き返すのは難しいと思いますよ。