色々な物事について真実は1つ。これは間違いない。
ただ、その1つの物事についても、立場や時代といった観点が変われば当然解釈も変わってくる。
例えで申し訳ないが、沖縄の辺野古へ米軍基地を移転するにあたって、沖縄県知事が前県知事が許可した工事の着工を取り消すとしている。国はこれに異議を唱えているのが現状。
神奈川に居ると、報道で聞かれるのは沖縄県民が反対しているという論調となる。そうすると、「沖縄の人は反対なのだな」と受け取れる。
確かに、多くの沖縄の人が反対なのだと思う。これは辺野古に限らず、沖縄に駐留している在日米軍全てにあてはまると思うが。
ところが、石垣市の首長は「将来的に米軍がいなくなる事が望ましい」という前置きがつくものの、「現状では米軍が必要」と言う趣旨の発言をしている。これは中国等が尖閣諸島をはじめとして身近の海域,空域をウロウロとしていて、漁業関係者を中心に生活に不安を感じているからだと言う。
同様に、最も反対派が多いはずの辺野古の住民の方は、やはり将来的に・・・という条件はつくものの、「住民の7~8割は辺野古への移設に賛成している」とも一部では報じられている。また、辺野古の工事現場周辺で反対運動をしている人の多くは辺野古の人ではなく、県外の人も多いとも言われている(反対派の人がゴミを散らかすので近隣住民の人が清掃を行っているとか)。
同様に、再稼働を決定した原発の近隣に住んでいる住民はどの様な理由があるにせよ再稼働を受け入れ、現地で反対運動を展開している人の多くは近隣ではない(そして県外だったりもする)という一面もある。
つまり、報道で知る事ができるのは良くも悪くもフィルターがかかっている為、ある一面から見た視点である事が多い。それを全面的に信用するのはちょっと考えた方が良いとも言える。
アメリカの大学でジャーナリズムを学ぶ際に、最初に「複数の有力紙(新聞)を読むこと」を教えられるという。TVの報道番組でも、ある事象に対し例えば争点を整理して紹介した上で反対,賛成の両方の意見を公平に取り上げ、番組で結論じみた見解を述べる事は無く、あくまで視聴者の判断のきっかけを提供する事に徹している番組がある。
個人的には、報道機関の報道は公平であるべきとは思うものの、フィルターが存在する事そのものについては否定しない。例えば、ある出来事に対して経緯があり、5000人の意見があるならばその経緯を5000人の意見を全てフラットに報道しなくては真の意味での公平はありえないかもしれない。しかし、多くの受け手にとってそれだけの時間や労力を割くのは並大抵の事ではないので、情報の整理を行い要約する上で人間が関わっている以上、必ずなんらかのフィルターなりバイアスがかかるのは避けようがないのもまた事実。
しかし、そのフィルターなりバイアスが必ずしも無意味な事とは言えず、逆に政策や行政の不祥事や問題的をキャンペーンと言う形で追及もできる訳で、絶対的に悪い事とは言えない。
よく、「ネットには真実がある」とも言われるが、これもまた怪しい。確かに、フィルターがかかりにくいネットでの発信ではあるので、真実の情報が包み隠さず流れる事は当然として、虚偽や利益誘導の情報もフィルタリングされる事なく流れているのもまた事実。
※とある学校の授業で生徒が教師の説明を全く聞かず、逆に「先生の言っている事は嘘。ネットに正しい事が書いてあるから、先生も勉強しなよ」と言い放ったという話も聞いた事がある。この生徒が言うネットでの真実は現実ではあり得ない内容だった言う。
以前にも書いたが、色々な物事について色々な角度から見てみるのは重要なんですね。うん。