Blogが復旧できずに悲しみにくれているLevicoです。うう・・・
さて、ここ数日でしょうか。横浜市内のマンションで基礎となる杭の打ち込みに手抜きがあったそうで、建物が傾いていると話題になっています。
こういう話題、時々ありますね。横浜市内だけ見ても、数年前に三沢のあたりでやはり建物全体が傾いていると話題になったことがあります。
さてさて、建物の傾きといえば我が母校である神奈川工業の旧校舎もなかなか凄かったですね。
今は10階建ての新校舎(それでも20年前に建てられたそうですよ)ですが、旧校舎も校舎ごとの傾きが違うので渡り廊下に段差ができていました。
以前の校舎の写真がありましたよ。
写真は神奈川工業の同窓会サイトより
手前を走っているのは東急東横線。当時は信号待ちが無ければ駅から徒歩数分。駅のホームから飛び降りる(事ができれば)ものの数秒で敷地という立地でした。
写真の真ん中あたりに写っている校舎の下側が本館(4階建て)で写真上側に続いているのが南館。3本の渡り廊下でつながっている写真右側が北館で、その更に右側に写っているのは産業デザイン科や機械科などの実習棟。
校舎は建てられた時期が違っていて、戦後の県立高校で鉄筋コンクリートの校舎を建築する際のテストケースだったそうで、普通の作りとはかなり異なる実験君です。
で、問題は本館と南館。南館が沈んでいるのだったか本館が沈んでいるのだったかは記憶が定かではありませんが、年々段差が大きくなっている様で卒業生がマジック等で「柱~のき~ず~はおとと~し~の~」ではないですが、「****年」と記しをつけていました。確か、私が卒業した頃は10cm弱の段差が渡り廊下にあったような。段差でつまづくといけないので、鉄板で段差部分を覆っていましたね。
たぶん、印をつけたのは電子科の仕事でしょう。本館の大部分は電子科の領地(本館4階は産業デザイン科でしたけど、4階は本館しかなくてデザイン科しか住んでいなかったし)。
この写真、いつ頃のだろう?
生徒会とか運動部の部室があった建物の位置が私の居た頃とは違うのね。相撲部の土俵もないし・・・
ただ、体育館とプールがあるから昭和40年代かしら??