さて、今日の暴言です(^ ^)/

私が初めて秋葉原に行ったのは、たぶん小学校1年の時ですから1975年かな?父親に連れられて当時流行していたTVゲームを買いに行った時でした(テーブルテニスとかの時代ですね)。

自分の意思で、自分ひとりで出かけるようになったのは中学1年の頃。1981年くらいです。
当時は無線少年であり、マイコン少年だったので毎週のように電車に乗って秋葉原へ行き、NECのBit-innとかヤマギワさんに通っていました。その頃はPCが自宅にあるなんて富豪だけだったので(?)、お店で使わせて貰うのが普通だったのですね。
同時に、よくラジオや無線機の部品を買いに行っていました。

部品屋さんのオヤジさんやオバサンは無愛想だけれど、情があってね。部品の型番等を書いたメモを持って買いに行くじゃないですか。分からないなりに一生懸命「これ下さい・・・」ってお願いしてると、面倒だなぁという雰囲気を醸し出しながらもテキパキ部品を揃えてくれて、「ほれっ」という感じで品物を出してくれるのですけれど、最後には「またおいで!」とか「うまく作れなかったら持っておいで」なんて言ってもらえたんですよ。
当時は台湾がまだ今ほど工場なんかが発展していなくて、中国語しか話せないオバサンとかが部品の買い出しに良く来ていましたね。目の前で数十万,数百万円単位の部品をキャッシュで買っていくのです。
だから、1坪位の売り場しかないお店でも、年商数億なんて当たり前だったようですね。
そんな商売ができていましたから、中学生の私が200円とかの買い物に行ってもゴミの金額にもならない訳ですよ(笑)
でもね、そんな私達でも数十万円のお客さんとは笑顔の頻度こそ多少は違っても、同等に扱ってくれたんです。

90年代半ばからPCの自作ブームがあり、アニメ系のお店が進出するようになって、新たなる活気が生まれてきたのですけれど、なんか違う街になっちゃった。無愛想だけれど、情のあったお店はドンドンなくなり、接客態度はとても良いけれど、なんか違うな・・・と。この頃からよほどの事がないと秋葉原に行く事はなくなりました。
2000年くらいだったかな、仕事で買い出しに行った時に店長さんとお話したんですよ、「だいぶ変わりましたよね」って。そうしたら、その店長さんが言うには「お客さんは増えたかもしれないけれど、面白くない。お兄さんは子供の頃から秋葉原に通って、物作りの仕事をしているんでしょ?一目見れば雰囲気でわかるよ。そういうプロがいなくなっちゃったんだよなぁ」なんだそうです。

秋葉原は戦後の闇市からはじまって、米軍放出の電気部品を扱った店があった事から発展したのだそうです。時代とともに移っていくのが秋葉原。だから、アニメとかアイドルブームの街になっても良いとは思うのです。でもね、私が慣れ親しんだ秋葉原は終わっちゃった。

最近、横浜の部品屋さんに仕事の試作で使う部品を買いに行きます。昔の秋葉原程ではないけれど、程良く昔の雰囲気が残っていて、「こんちは?!」ってお店に行って「こんな部品が欲しいのだけれど、どんなのがありますか?」なんて相談しながら買い物ができる。
スペックが分かる半導体とかならChip1StopとかDigikeyといった少量多品種を扱うサイトが頑張っているのですけれど、困った時に相談に乗ってくれる部品屋さんは試作をやっている時は本当に助かります。

こういう雰囲気が無くなったら、これから設計の仕事をしようと思う人はいなくなるかもしれないですね。ちょっとさみしい。

でもね、一つだけ秋葉原でも嬉しい事があったんですよ。
まだ若い女性が一人で工具屋さんとか部品屋さんで買い物をしている姿を見かけるようになりました。メイド系の服とかじゃなくて、でも地味じゃないキレイ系のお姉さんが真剣な眼差しでハンダごてとかを選んでいたり、部品を買っている姿を見かけるようになりました。
昔のやっちゃば(青果市場)があった頃には考えられない事ですけれどね(^ ^)
こういう面では、良い感じでハードルが下がったのかもしれない。それだけが嬉しい事かな(笑)