この数か月、縁があって80?90年代のとある業界でトップクラスだった方々と仕事をさせていただいている。
たぶん、その時期のある業界を知っている方なら名前を聞けば「えっ?」と思う人もいるだろう。

私が学ぶべきことは盛りだくさん。
この皆さんは技術面でトップを走ってきた方ばかりだけれど、残念ながら私には皆さんについていける経験も学も知恵もない。
その代り、皆さんが不得意な分野ではある程度の経験をし、成功も失敗もしてきた。

話はそれるけれど、戦時中のゼロ戦の話。
ゼロ戦は当時の価値観を凌駕する格闘戦闘性能を持っていたことは広く知られている。
戦時の兵員さんにとって、敵前逃亡は処罰の対象だし、時として射殺もありえる重大な背任行為。
しかし、ゼロ戦に対しては米軍の上層部から「ゼロを見たら逃げろ」と敵前逃亡を命令されるくらいゼロ戦とパイロットは強かった。
米軍はこの格闘戦ではゼロ戦に挑まず、一撃離脱と集団による戦闘に加え、強力な武装と数をそろえるという価値観で勝負してきた。
残念ながら、この考え方に日本は持ちこたえられなかったのも広く知られたところ。

話を戻しましょう。
諸先輩方は技術分野のスペシャリスト。私は15年前に開発&設計業務から手を引いているし、もともと学もなければ知識もないので15年のブランクを考えたらこの先輩方には自分の得意分野で勝負を挑むのが最近の本流。
勿論、違う分野で共存すればお互いにうまくいくのはわかりきったこと。

でも、私は挑む。

自分の土俵で勝負を挑みつつも、先輩たちの分野でも勝負を挑む。
例えば、10の仕事量があったとして、先輩たちは5とか6の力量で成し遂げるだろう。
私は要領と勘所が悪いから、まともに挑んでも15とか20の仕事量が必要になる。
そのうえ、15年のブランクを少しでも埋めていき、更に一歩上に行くためには10の仕事量でも50とか下手したら100の仕事量をかけなくてはならない。

ゼロ戦の例えで行くならば、より洗練されたゼロ戦に、不利なはずの重武装でなおかつ格闘戦を挑むくらい、最近の風潮で言えば非効率で無駄なこと。
でも、格闘戦を挑むことで諸先輩の凄さと経験と知識が理解できるし、そうしなければ失礼にあたる。
萎縮せずに格闘戦を挑み、私の土俵である(例えば)情報戦でも勝負を挑む。これが私の流儀。

馬鹿だと思うし、無駄とも思う。勿論、追いついて追い越せる見込みなんて全くない。死んだポチ(仮称)を生きかえらせる方がよっぽど簡単だよ(笑)
でも、やる。

そして、それを次世代の若い人に見てもらう。
よく、「教える」とか「教育する」とか「人を育てる」なんて言い方をするけれど、それは上から見下した見方であって、若い人が伸びるかどうかは本人次第であり、キャリアを積んだ人はその手助けができるにすぎないというのが私の持論。
だから、見てもらう。

「あぁ、馬鹿な事をやってら」でも良いし、「あ、ここは参考になる」でも良い。今の人に今時の判断をしてもらえれば良い。その判断材料になるのが私の仕事。
私のすべてを「教える」なんておこがましいことはできないから、示すだけ。

諸先輩方からは学ぶものを学び、盗めるものは盗み、最後に引導を渡することができれば上等。
そして、次世代の人に「お前はお払い箱だよ」って引導を渡してもらえたら本望。天国にいけるね!(笑)

Levico、お前は振り切れ!全力でね!(^ ^)