緊急時の救命医療の現場で、積極的な延命治療を行わない動きが広がっているそうです。
また、病院で3年以内に重大事故が起きた事も多くも病院が経験しているそうです。

私は自分が病気になった時、怪我をした時、医療というものに頼りますし、治りたいと思います。
ただ、自然治癒力を助けるという線を超えた医療は生き物の姿として不自然だと思うようになりました。
私の場合、現在母親が脳腫瘍で余命長くない事が分かった時の判断として、医師に延命治療は断りました。穏やかな死を迎えてほしいとは思いますけれど、運命に逆らう医療と言うのはいかがなものかと考えるようになったのです。

究極の暴論ですが、生死に関わる病気や怪我で救急医療を受ける時、結果として死が訪れた場合に、医療が役に立つのは「残された者が納得する」という点に尽きるのではないでしょうか。「ここまでやったのだからしょうがない」という諦めを受け入れるための儀式のようなものではないかと。本人の場合もかもしれませんけれどね。ここは経験が無いので分からない。

救急医療も医師が意図して患者を傷つけたりする場合は論外として、「医療ミス」というのはやはり医師をはじめとする医療関係者を責めてはいけない事だと思います。そもそも一線を越えた医療というのは生き物として自然の摂理を超えた部分なのですから、失敗するのが当たり前なんです。反感を買うかとは思いますが、「失敗しなくちゃならない」範疇かとも思いますね。

「ブラックジャックによろしく」という漫画があります。この漫画はそれまでの医療漫画とは違い、「凄い技量を持った医師の活躍」とかを描くのではなく、現実にどうやって向き合っていくのかを若い研修医をテーマにして描いていると思います。
数年前、初めてこの漫画を読んだ時にも驚きがあったのですが、その時の印象として「命って何だろう?」と考えた事が記憶に残っています。
最近読み直してみて改めて「なるほど」と共感できる部分がありました。自分が病気で苦しんだこともありますし、母親の件でもそうです。この作者さんの描かれている事を全て肯定する訳ではありませんが、少なくとも私にとって「生きるという事はどういう事なのか?」を考えるきっかけになりました。
生きるという事をどうとらえて、どう考えるのかは人それぞれです。それはその人の価値観ですね。

私個人としては以前にも書きましたがiPS細胞を作り出す先端医療というのは神の領域だと思っています。勿論、人類の知的欲求は際限がないですから、研究が進むのは良い事でしょう。それは全く否定しません。
ただ、もっと簡単に実現できて、もっとも難しい終末医療というものももっと取り組んで欲しいと思います。