是非とも読んでいただきたい、東日本大震災のちょっといい話・・・
ミサイルファクトリーさんのお客さんで、KTMに乗るSさん。「最近、姿を見ないなぁ・・・」と思って、電話をしてみました。その時は留守電だったのですが、あとから電話がかかってきました。
近況を聞いたら、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市で頑張っているのですって。
話を聞いてみれば、「地元の人の仕事がない」という事を聞きつけたSさん。
以前焼き肉店をやっていた経験を生かして石巻で焼き肉店を開こうと思ったのだそうです。それも、自分の為の商売ではなくて、調理から焼き肉店経営のノウハウを石巻で仕事が無い人に教え、「地元の人が地元の人のためになるお店を作る」のが目的なのだそうです。まずは東京で資金を集め、道具を揃えて石巻へ。
Sさんは東京で雀荘を経営されているので、お店を閉めたままでそう長い時間は石巻にいられないと思っていたそうなのです。
現地の人に仕事を教えながら仮設住宅に住む子供たちを中心に焼き肉を振る舞っていたのだそうです。この子供たち、震災で親御さんや身寄りを無くした子供たち。Sさんが訪れるまでは元気が無かったそうなのですが、焼き肉を振る舞うと目をキラキラさせて「美味しいっ!」って。焼き肉を食べながら身寄りがいない事に泣き言も言わない子供たちが、Sさんが帰ろうとすると「帰らないでっ!」って。
Sさんは電話で私に言いました。「レビちゃん、あの子供たちを見たら東京に帰れないよ・・・」
Sさんは今でもマスコミで報道されない様な小さな規模の仮設住宅を回って、子供やお年寄りに焼き肉を振る舞っているそうです。地元の人も焼き肉の調理の仕方や経営を覚えてきてるそうです。
Sさんの雀荘は奥さんが頑張って切り盛りしているそうですが、やっぱり慣れない商売なので大変みたい。
私の中にひとつの弾けるものがありました。
震災以降、積極的に募金や義捐金は送ってきましたが、もっと役立てる事がないものか?とずっと考えてきました。しかし、なかなか難しいです。特に、本当に必要とされている長期間の支援は難しい。やっぱり、自分の生活もありますからね。
でも、このSさんの様に腹をくくって現地に赴き頑張っている人が居るならば、その人が安心して現地での活動が出来るように、その人の生活を側面で支えるのも間接的には被災地の支援になるのかな?と。
私のできる事でSさんに協力してみようと思います。
そう言えば、Sさんのお兄さんも震災直後に後先考えず飛出し、山形で持てるだけの缶詰や食料を仕入れ、交通網が壊滅的ななか、ヒッチハイク等で宮城入りして支援に奔走されたそうです。
こういう方の後方支援も重要ですよね?
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