金曜日は、お昼に役所へ行って国民健康保険と国民年金への切り替え手続きに行ってきました。

その後、帰り道なのでちょっとミサイルさんに寄ってコーヒーを飲んでから一旦帰宅して、16時からの仕事に行こうとしていたのですが、父親から連絡あり!

脳腫瘍で入院している母親の意識が無くなったというのです。

水曜日に大学病院から系列の長期療養型病院に転院したのですが、金曜日の午後にロビーで他の入所者の方(介護老人ホームも兼ねているのです)と談笑していたら、突然意識が無くなったという事でした。その後、意識は戻ったのですが、施設の医師から大学病院の担当医に連絡をしたところ、「すぐに容態が急変するタイプの脳腫瘍ではないので、明朝大学病院に搬送するよう」指示があったとの事。ただし、施設の方からは「不測の事態に備えて待機してください」という連絡がありました。
施設ではあまり医薬品のストックもありませんし、できる対応にも限界があります。本来なら、すぐにでも設備の整った大学病院に搬送したいところです(後で施設の方から伺いました)。
大学病院の先生、他人事の様な対応に見えますが、大学病院の先生もこういう対応をする理由がありました。これは後程書きますね。

父親からの第一報を受けて急いで帰宅。16時からの新横浜での仕事をキャンセルしていたところ、施設から第2報!
再び意識がなくなり、鼻血も出ているらしいのです。更に呼吸も短時間ですが停止したとの事。今度は施設から大学病院へ緊急搬送する事になりました。施設の方からは「家族の方は急いで大学病院に集まってください」という事でしたので、仕事がある各方面に事情を説明してストップを依頼しました。特に、即時対応できないホテルさんのインターネットサポートの仕事は、他の方にお願いです。
ただ、仕事中は手元に携帯電話を持つことが許されていない妹にはメールするしかありませんでした。

大学病院に向かう車中で父親はくだらない事ばかりを言っていて、「そんな事を言っている場合じゃない!」と腹立たしかったのですが、父親も必死に混乱するのをこらえていたみたいです。事実、大学病院に車が着く直前になって、「不謹慎かもしれないけれど、無理な延命措置はしない」とポツリ。
この頃には私も感情のコントロールができなくなっていて、車を運転するのがやっとでした。

私達が大学病院に着くとほぼ同時に施設の車が母親を連れてきました。ストレッチャーに横たわっている母親は意識が戻っていて、私が声をかけて手を振ると手を振りかえしてくれました。大丈夫、まだ生きていた!!(うるうる)

緊急治療室に運ばれて、担当医の医師に診てもらっている最中に今度は痙攣が起き始めました。これは入院中には一度も起きなかった事です。筋弛緩剤を投与して一旦は収まったのですが、点滴を投与している最中に再び痙攣が起きました。筋弛緩剤を投与しているので、薬が効いていれば痙攣起きないはずなのです。この状態では施設に戻っても対応できないので、そのまま緊急入院となりました。
やっと連絡がついた妹に電話で状況を説明し、私たちは引き上げる事となりました。

もう、あとは病院と本人にかけるしかありません。天命を待つしかないのです。


上記文中に「大学病院の先生の対応が他人事のように・・・」と書きましたが、これは先生にも理由がありました。

大学病院の方には「高齢者医療保険」で入院していましたが、施設の方の入院は「介護保険」での入所となります。この保険制度が厄介でした。
今は施設に入院していますので、「介護保険」の適用期間中になるのですが、この状態では「高齢者医療保険」が適用にならないそうです。つまり、施設で対応できずに病院に搬送した場合、介護保険の枠組みを外れる医療行為は自費診療になるのだそうです。
実際、まだ施設入所となっている母親には大学病院で点滴をするだけでも自費診療になります。ところが、この施設の方々は「自費診療の9割は施設で負担する」と言ってくださいました。感謝!

また、2重保険となるので、大学病院に入院する事になると一旦施設を退所しなくてはならず、3月中旬に施設への入所を申し込んで1ヶ月以上ベッドの空きを待ってやっと入所できたのです。これが緊急入院であっても大学病院に入院するとなると、施設の退所手続きを取り保険を介護保険から高齢者医療保険に切り替え、大学病院に入院手続きをし・・・と煩雑な手続きが待っています。
別に私達は手続きはどうでもいいんです。面倒でも書類を書けばいいだけですから。でも、そこを心配してくれたみたいです。

先生は別の面も心配してくれていました。母親の余命が長くは無い事は誰でも分かる位にCTで撮った腫瘍は大きくなっています。だったら、余命は騒がしい大学病院ではなく、環境の良い施設で過ごさせてあげたいと考えてくれていたみたいです(今日荷物の引き上げで行ってきましたが、本当に環境の良い所でした)。でも、短期間でも(仮に一晩でも)大学病院に入院する事になったら、先にも書きましたが一度施設は退所する事になり、大学病院を退院しようにもまた施設の空きベッド待ちになります。あくまでも大学病院への入院ではなく、外来で済むように・・・そのことを心配してくれていた様です。
次に大学病院に戻ってくる時には、息を引き取る最後の時ですね・・・と前から言われていましたし。

今回、大学大学の先生は勤務時間外となりますが、残って治療してくれました。緊急治療室で診察を終え、時間がかかる点滴を始めてしまえば、あとは看護師さんや当直の医師に任せてしまっても良い訳です。
でも、点滴が終わるまではずっと待機していて、病室に移った後もナースセンターで看護師さんへの指示や母親の様子を見に行くなどをしている姿を見かけました。

施設の看護主任さんは同じく時間外でしたが、最後まで私たちに付き添ってくれました。
治療中のロビーでは先ほども書きました保険の仕組み等を分かりやすく説明してくれただけではなく、自らもガンで子宮や卵巣,胃の1/3を摘出するような経験をもとに、私たちの動揺と緊張を解きほぐすように優しい口調で一杯話してくれました。
更にこの大学病院で15年の勤務経験をもつベテランの方でした。そのベテランの方が「これは危ない!」と思う程の急変だったそうですから、本当に大変な状態だったのでしょう。

施設の理事長さんはずっと施設で待っていてくださり、看護主任さんからの状況を聞かされ、大学病院から施設に戻っても良いようにわざわざストレッチャーを積める施設の車で迎えに来てくれ治療が終わるまで待機してくれました。
なんでも、大学病院に連れてきてくれた時の運転手さんは、契約(?)で帰りの時間外までお願いできなかったそうです。
それで、自ら施設に残り、事務方なのに車を出してくれたのでした。
先ほど書いた、「自費治療分の9割は施設で負担」という事もこの理事長さんが決めてくれたようにも感じました。


一日たって、だいぶ落ち着いてきました。

ご飯も少し食べられる様になりました。

単に仕事が忙しいだけではなく、振り返ってみれば母親の事を考えたくなくて仕事に没頭していたのかもしれませんね。独立を決断した理由の一つが母親の事でしたから。。。
そういえば、昔付き合っていた彼女が事故で大怪我をして生死の境をさまよった時も、その現実に目を向けたくなくてお見舞いにもほとんどいかなかったっけ。

でも、今度は私の身体が悲鳴をあげました。こんな時に私がシッカリしなくてはなりませんね。


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