皆様、コメントをいただきありがとうございました。
本日無事に葬儀を終わらすことができました。

以前も書きましたが、母親の脳腫瘍が見つかったのは2011年の12月。
定期的に通っていた内科で、C型肝炎治療のインターフェロンによる治療を受けに行った時の事です。
たまたま休みだった父親が同行して内科へ行ったのですが、この時に「今日の朝、家の中で転んだのですよ」という一言から内科医が異変を察知し、そのままそばにある大学病院へ検査の手配をしてもらって直行したそうです。ここでの検査で脳腫瘍が見つかり、即入院となりました。結局、このインターフェロンの注射を打ちに出かけたまま、今日まで一度も家に帰ってくることはありませんでした。

大学病院の検査では既に腫瘍が大きくなりすぎていて余命半年との事でした。外科的な手術や放射線治療等も行いましたが、完治できませんでした。

当初は大学病院へ入院していましたが、あまり環境が良くないと感じる事もあって、老人健保施設や高齢者向けの病院を何度が転院する事になりました。しかし、老人健保や最後までお世話になった病院では、看護師さんやヘルパーさんがとても良い方ばかりで、家族もとても助けられました。

入院してから最初の1年位の間、私はそう頻繁に見舞いに行った訳ではないのですが、母親とは割と普通に会話ができていました。しかし、妹の話では最初に入院したほぼ当日より記憶が曖昧だったそうです。これは私が感じるだけかもしれませんが、何かあったのかもしれません。
この2年以上は意識もなく、点滴だけでした。胃ろうの様な延命治療は当初より家族間の話し合いで行わない事を決めていましたので。
最初に入院した頃より「血圧が急激に低下した」とか「脈が落ちた」,「呼吸が一時止まった」という連絡は結構ありまして、その都度病院からは「ご家族が集まる準備をしてください」という事も何度もありましたが、すぐに元に戻っていました。今回も深夜より容態が悪くなっていた様ですが、看護師さんも監視を強化しながら「きっとまたすぐに回復する」と信じてくださっていた様です。それでも、早朝には心肺停止となってしまいました。

とは言え、余命半年と言われながら3年5ヶ月頑張りました。C型肝炎は見つかって治療が始まってからは23年でしたが、感染そのものは50年ほど前の輸血が原因の様です。脳腫瘍には勝てなかったという見方もあるかもしれませんが、私たちとしては手遅れと言われた病気に対して何倍も生きましたし、C型肝炎も「治る確率は1/3」と言われながらも完治する事はありませんでしたけれど、最後の最後まで死因となるほど悪化しなかったのは病気に勝ったのでは?と理解しています。

ひとまずお疲れ様と言いたいです。ありがとう。