昨年11月末に東北ツーリングへ行ってきました。
以前も書きましたが、目的は実際の被災地を自分の目で見る事。

勿論、震災から2年半という時間がたっている訳ですから、当時そのままではありません。
しかし、違った見方をすれば、徐々に減っている報道では知る事が出来ない今を見る事ができるはずです。
多くの人は衝撃的な当時の映像が記憶に残っていると思います。が、それだけなのかも知れません。
2011年に神戸へ出張で出かけた際、新大阪から新神戸までの短時間だけでしたが、たまたま隣に乗り合わせた方の言葉が今も忘れられません。

ツーリングの記事でも書きましたが、石巻の中心部は本当に片づけられていて、震災の事を知らない人が訪れても気が付かないかもしれません。人によっては拍子抜けするかもしれないです。
壊れた建物とか、陸地に乗り上げた船をどうするか?という事は全国の報道でも取り上げられていました。「教訓の為に残した方が良い」という人と、「記憶がよみがえるから残したくない」という人。私は「一部でも残し方が良いのでは?」と思っていたのです。
被害の大きい所は多くの人が住んでいるところです。逆にいえば、人が多くいたからこそ被害が大きいとも言えます。

正直な感想です。
「残しちゃダメ」

壊れた建物とかは物凄いインパクトがあります。一瞬見ただけでも飲み込まれるくらいの迫力(語彙が足りない)があります。
私の様に毎日見るのでなければ残っていても良いのかもしれません。でも、正直なところ毎日毎日その風景を見る事は、住んでいる方にとって苦痛な方もいるでしょう。

先ほどの話に戻ります。
新幹線で隣に座った方は仙台の方でした。きれいになった神戸の街を見て、「東北も頑張れる」と思ったそうです。
復興する街は、やはり活気があると思うのです。言葉は悪いですが、遺跡の様に残していても、その観光収入しか得られません。だから、元通りの生活に戻るためには残しちゃダメ。

しかし、壊された建物等はとても強い説得力があります。
どんな写真や画像で見ても伝わらない説得力があります。何十回,何百回と見た写真や動画で分かったつもりになっていても、現場に行くと「あぁ、分かったつもりになっていも、1/10も理解できていなかった」と思わされました。
改めて被害について考えなくちゃと思わされます。

地震や津波,大火災と言った災害は、想定を超えるから被害が大きくなります。例えばどんなに高い防潮堤を作っても、それを越えられたら被害を少なくする事はできますけれど、期待通りの効果ではありません。
人間の記憶は曖昧です。写真が発明されてからだってまだそれほどの歴史はありません。だから、過去に起こった災害の規模は正確には分かりません。そのうち過小評価をすることもありうるでしょう。人間、誰だって辛い事は覚えていたくないですし、体験していない世代には伝わりませんから。
数百年前に起きた災害の事は現在良く分かっていない事が多いです。富士山の噴火だって、文献をもとに研究の対象になっているという見方もあります。本来なら、分析をして対策を練るべきはずですが、分析の前の研究です。
東北の震災も、後々調べてみたら数百年前の津波でここまで浸水した・・・という場所に神社が建っていたり、碑が残されていたそうです。その時の状況と2011年状況はかなり似た部分もあったとか。でも、この記憶が忘れられていたと思うのです。

街中に被災した建物などを残す必要はありません。その代り、詳細な記録をとり、後世の役に立つようにキチンと保存するべきだと思います。あとはその時代に応じた対策をしていくしかないです。
とは言え、先にも書きましたが建物などから得るインパクトはとても強いものがあります。これは現地で体験していない私のような人にはとても有効です。
なので・・・あの小学校だけでも残せないかな・・・

どちらにせよ、現地の復興をどうするのかは現地の人ではない我々がとやかく口を挟むものではないと思いました。例えば、建物ならば保存するにせよ、建て直すにせよ色々な方法で手助けをしなくてはなりません。それと「ああしなさい」とか「こうした方が良い」と我先に外部の人間が口を挟むのは違うとも思いました。