知っている人は多くないと思いますが、私はたぶん献血マニア?です。

とは言っても、「**の献血センターはいいぜっ!」なんていうヲタク系マニアではありません。たぶん、人よりちょっと回数が多い位です。手元にある献血手帳をみたら今までの累計が44回だそうで。
※一時期は成分献血だと1回の献血で3回分とカウントされていたので、実際はもう少し少ないと思いますが。

献血をするようになったのはきっかけがあります。
一番最初の献血は、高校生の時に学校へ献血車が来た時だったかと思います。この時は「献血に行けば授業に出なくてすむ!」というとても純粋かつ不純な動機(?)でした。
その後、特に献血を意識することはない生活でした。

社会人1年目の初夏のことです。その日は確か横須賀の現場へ3,4日間出張する仕事の2日目だったと思います。6月だったと思いますが屋外の現場はとても暑く、半袖の作業着だと日焼けでやけどをする位だった事を覚えています。
家に帰ると、高校の同級生から電話があったとのこと。電話の内容は「同級生のI君が事故で手術中。緊急輸血が必要なので病院まで来て欲しい」というものでした。
この時、私は「輸血が必要と言っても赤十字の輸血用血液の在庫がなくなる訳ではないだろう」と思ったのです。当時、隣の家の奥さんは看護婦をしており、先の話をしたところ「余程のことがない限り病院で採血し、輸血する程の事はない。赤十字の方で対応できる」という事でした。当日は疲れている事もあってI君が入院している病院には行きませんでした。

翌日、やはり現場から帰宅すると「I君、もうだめかもしれない」との連絡が入っていたのです。
早速病院に駆けつけると、同級生が沢山集まっていました。医師の話では手の施しようがないらしいとの事。
その場にいた同級生に話を聞くと、連絡がついて輸血できる血液型の人はかなり集まった様です。血液型が合わない人は心当たりに電話したり、病院のそばにある私鉄の駅で輸血用献血を呼びかけていたとか。また、通りがかりの人が何人も協力してくれたそうです。

I君はR246をバイクで走行中、中央分離帯を飛び越えてきたトラックと正面衝突したそうです。病院に運ばれ、手術を受けましたが事故から3日後に亡くなりました。

正直、ショックでした。

確かに、私が駆けつけて輸血に協力してもI君は助からなかったかも知れません。助かったかも知れません。それは分かりません。
でも、人の生死がかかっている場面で、私も少なからず協力できる事があったにも関わらず、何もしなかった事。後悔しました。

それから、少しでも人の役に立てればと思い、機会があれば献血をするようになりました。時には「献血ルームは涼しいから」といった不純な気持ちがまったくないとは言いませんが、献血をするたびにI君の事を思い出します。
罪滅ぼしではないですが、こんな私でも困っている人の役にたてる事があるのなら、少しは協力しないと・・・と思うのです。

献血をすると言うこと。それはどこかの人の役に立つかも知れないと言うこと。
そんな事をI君から教わりました。