一体何が書きたいのだろう?
ここの所、ずっと疑問に思っていた事。
それは、アナリストとか評論家とかを自称している人達が書く、「mixiはFacebookに利用者で抜かれた。どうする?mixi」的な記事だったり、その前は「mixi疲れ」を盛んに書いていたし、最近では「アメリカではFacebook疲れが起きている」とかなんとか。次はTwitter疲れを記事にしそうですわ。
先の「mixiの利用者がFacebookに抜かれた」とかは利用者にとってみればどうでも良い事で、一部の投資屋が喜んだり悲しんだりするだけでしょ?「mixi疲れ」とか「Facebook疲れ」に至っては、何の為に見下しているのかが分からない。
利用者からしてみれば、「自分が望むサービス」が「安定して受けられるか?」がポイントであって、自分に合わなければ他へ行くし、興味が無くなっても他に行く。要は利用する価値や意味が無ければそれまでだと言う事。ただそれだけの事でしょ。
大体において、この20年はどのインフラでもコンテンツ屋が安泰だったことなんてあまりなくて、特にすぐに立ち上げられるけれど、直ぐに廃れていくのがインターネットのコンテンツ屋でしょ?
実際の面でも、mixiはコミュニティとかニュースに対するコメントが発達していて、共通の話題に興味のある人が交流できるけれど、Facebookは見ず知らずの人とは交流が取りづらい。その代り、実際の交友関係がそのまま持ち込めるFacebookに対して、mixiはその面が弱い。
そもそも、得意な分野が異なるのだから比較が難しいはずなのに、SNSというキーワードで同じ土俵に乗せちゃうから訳が分からなくなる。挙句の果てに、ゲームが主体になっているGREEまで比較しようとするんだから。
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