ポツポツと話題なっているのが「小学校でプログラミングの学習を行う」という案が出ている様です。
確か小学校低学年でプログラミングの基礎を学ぶ授業を設定するとか。
効果としては論理的思考が身に付くという期待があるそうです。

確か佐賀県の武雄市でも前向きに取り組んでいて、地方に工場の誘致と言った方法で就労場所を確保するのが難しくなる中、比較的設備費などが少なくても事業展開が期待できめため、将来大都市圏への人口流出を食い止めて生まれ育った地元でも仕事が確保できるとしています。
同様の事はシリコンバレーのIT産業でも「プログラミングを学べば仕事がある」という経営者もいる様ですね。

反対派の意見としては、小学校低学年といった時期には道徳といった社会性を身に付ける授業や、日本語教育に力をいるべきだとされている様です。

私個人の考えですが、プログラミングといった授業で論理的思考を身に付ける事は有効だと思いますし、従来型の工場の誘致による仕事の確保という事も難しくなってきている日本では、確かに就労場所の制限が比較的緩くて高額な設備投資が必要ではないソフトウェア産業の人員を育てるという面では意義がある事と思います。
とはいえ、全面的に賛成ではないです。と言うのは、論理的思考が役に立つ職種はあると思いますが、論理的思考が向かない職種もあると思うのです。世の中すべてがIT産業になる訳ではないし。

また、以前にも書きましたけれども勉強が得意な子供もいれば、勉強は苦手でも体育とか音楽が得意な子供がいるというのが正しいと思うのです。小学生とはいえ、それまでその子が育った環境によっては論理的思考が苦手な子供もいるでしょう。年齢が上がるにつれより習得が難しくなるので早めに身に着けさせるという考え方もあるとは思いますが、ほぼ間違いなく苦手な子供現れるはずですし、全員が論理的思考を身に付ける必要はないと思うのです。新たなる子供の均一化ではないかと。

勿論、教育を受ける選択肢が広がる事は望ましいでしょう。プログラミングの授業で興味を持った子供がより学習を進められるようなサポートがあれば、将来あっと驚く事を成し遂げる子供が現れる可能性は高いです。しかし、反面として論理的ではなく感性に優れた子供はそちらを伸ばすのが正しいと思いますね。
こう考えるのは、日本の教育はある程度の目標に生徒全員を達成させるのが教師の目的となっているように感じるからです。学習の手助けをするのは勿論ですけれど、どうしても馴染めない子供がいた場合には違った道の目標を示してあげるのが本来の姿かなぁ?と。
馴染めない子供が落ちこぼれと言われて、一般的な社会から外れちゃう人が出る事もあるのではないかな?と。

ただ、私が小学生の頃、成績は悪くはなかったですけれどガキ大将とは違ったベクトルでブッ飛んでいた子供だったと思います。でも、小学校の先生はブッ飛んでいたところを否定する事がなく、逆に褒めてくれたんですね。たぶんそこで自信を持ったこそ、大きくグレることもなく今に至ると思っています。

これは先生にとってとても大変な仕事が増すことも理解しています。でも、それが教育じゃないかなぁ?と思うんです。