さて、今日の暴言は「インターネットは万能ではない」です。

近年、特に東日本大震災で福島第一原発の事故が起きて以降はマスコミが流す情報を信じず、「ネットにこそ正しい情報がある」という意見を多く耳にしたり見かけるようになりました。
確かに、途中でフィルター(人によっては検閲をイメージするかもしれません)がかからない情報が手に入れられるインターネットは有益であり、人類にとってある種の革命的な事ではあると思うのですが、盲信も大変危険と考えます。

人類の歴史では長らくコミュニケーションの範囲は、直接話ができる家族や共に生活している親族や隣近所と言ったレベルのはずです。
その後、大規模な集落を作るようになり文明の進化が加速していきますが、それでも日常のコミュニケーションはその集落の範囲だったと思います。異なる集落とは何かのきっかけで接する事があっても、日常的に情報交換をしていなかったと考えるのが自然です。情報の伝達に労力と時間がかかりますからね。遠くの人と意見交換ができるのはあくまでも情報伝達の手段を確保できた上流階級の人に限定されていたと思います。
その時代の遠距離コミュニケーションの手段は主に手紙であり、1対1の通信手段です。多くの人に知らせるには新聞の登場を待たなくてはなりません。
新聞の後にはラジオやテレビといったメディアが登場しますが、あくまでも片方向のメディアであり、双方向だったり個人が発信する情報を広く知らせる事ができるようになったのはインターネットの普及からだと思います。

良い悪いの問題は別として、片方向のメディアの時代には取材や編集に携わる人がいて、伝達する情報の整理が行われています。その為、情報の受け手はある程度整理された状態での情報に接する事になり、予め取捨選択されていますから受け手は理解がしやすいとも言えます。勿論、情報源から受けてまでの間に取捨選択をする人がいるという事は、必ず何らかのフィルターなりバイアスなりがかかるのは周知のとおりです。
インターネットの普及で個人での情報発信が容易にできるようになると、フィルターやバイアスのかからない情報に接する事ができます。事実、このBlogですら私の考えがストレートに表現されていて、インターネットに接続できる人には何ら制限がかかる事なく知ってもらう事ができます(インターネットの制限を国などの規模で行っている場合は除きますけど)。
最近はホームページやブログを通り越して、Twitterの様なSNSと呼ばれる形態もありますから、より手軽に情報の受発信ができるようになりました。今後は更に進歩するでしょう。
これは喜ばしい事でもありますが、人類に新たなる課題が突き付けられたとも思えるのです。

例えば、東日本大震災の時にはTwitterで多くの生の情報がリアルタイムに流れ、多くの人の人命や財産を救ったのは事実です。しかし、その反面、不正確な情報が広く流通し(それが悪意のない事実の誤認だけではなく、意図的なデマだったとしても)、戸惑った人がいる事も忘れてはなりません。
日本で新聞を始めとするメディアが整備されたきっかけの一つが関東大震災だと聞いた事があります。震災後の混乱の中、広く事実とは異なるデマが流れ、その結果多くの人命が犠牲になったという事の反省から正確な情報を早く広く伝える為にメディアの整備が進んだという話です。
そういう面から見れば、今の状況はデマがより広範囲に、そして即座に広がる可能性も持っているという事になります。

しばらく前にコラムで学校の先生の話が掲載されていました。そのコラムでは、「生徒に歴史を教えようとしても聞かない。なぜかを聞くと、『その歴史の考え方は間違えている。ネットの常識。先生も勉強しなよ』と返ってきた」というものでした。
授業で教える歴史が史実に基づいているかどうかについては様々な考え方がありますが、それ以前にひょっとしたら一部の人の思い込みとして放たれた情報が独り歩きして拡大しているという可能性はゼロではないのです。
極端な例ですが、「恐竜が滅亡したのは宇宙人が虐殺したからだ」という現在では考えられない説を唱えたとしましょう。しかし、この説が独り歩きして根拠も何もないのに広く広まったとします。理科の授業で「恐竜が滅亡したのは、気候変動が原因」と教えようとしても、「先生、恐竜が絶滅したのは宇宙人の虐殺が原因。これはネットの常識。先生も勉強しなよ」と先の話を言い換える事ができるのかもしれません。

確かに、余計なフィルターがかからない分、埋もれたり黙殺されるような真実の情報に触れる機会をインターネットはもたらしていると思いもます。しかし、その真実を上回る雑音だったり誤認だったり、悪意を持った虚偽の情報で出回っている可能性があります。たった一人の投書で混乱したオイルショックの時のトイレットペーパー騒動を超えるかもしれません。
※もっとも、この投書を大手新聞が掲載したことである意味では「お墨付き」となって一般の人が信じたとも言えますが。

個人的に、インターネットは「火の扱い」や「車輪」や「ネジ」に匹敵する発見,発明だと思います。ただ、今まではメディアの発表を信じていれば良かった時代(それが意図して世間を誘導する為のものであったとしても)から、自分で情報の真偽を確かめる為に多くの手間を個々がかけなくてはならない時代に入ったと思うのです。
人類がこの発明をうまく使いこなすには、膨大な情報とうまく接する術を身に着ける為の時間が必要だと思うのです。それが数十年なのか、数百年・・・いや、人類が手にすることはできないかもしれませんが。
※すっごく余談ですが、昨年話題になったTwitterで上げたバイト中の悪ふざけ等が社会問題となった事(俗にいうバカッター)。昔から程度の差はあれ似たような事はありました。しかし、それが伝わるのはあくまでも仲間内の事であり、大きく社会問題になる事は稀でした。ところがTwitter等によって多くの人に瞬時に伝わる事により大問題となりましたね。これ、ある意味で情報との付き合い方が身についていない事例だと思います。実は、同じことを怒り新党で有吉さんとマツコさんが言っていました。