諸般の事情により少し仕事をお休み。色々と行き詰っていることもあったので、久しぶりに遠出をしてみました。

水曜日。お昼過ぎにフラリと家をでます。いったんストラーダさんへ寄ってから18時過ぎに東京府中を出発です。
今回の旅はどうしても見に行きたくて、なかなか現地に行けていない場所に行くことです。そう、東日本大震災で津波の被害を受けた三陸地方を回ってみる事。

都内を抜けてR4のバイパスをひた走ります。相変わらず夜のR4バイパスは恐ろしいほどのハイペース!(笑)
シェルパに乗っていた時の一気走りはできる限り休憩を取らないでハイペースで走り続ける事をテーマにしていましたが、今回はペースはともかく休憩を多くとることにします。そんなノンビリしたペースですので、仙台市内に到着したのは午前6時頃。
当初はそのまま南三陸町へ行き、海岸沿いに福島まで南下するつもりでしたが、ちょっとメールを送らなくてはならなかったので、急遽塩釜へ立ち寄ることにしました。ノートPCのバッテリーがあがっていたのです・・・(しくしく)

塩釜(というか多賀城)で電源を確保してメールを送り終え、北上を始めます。
塩釜という街ですが、10年ちょっと前に仕事で何回か来たことがあります。その時とあまり風景は感じませんし、港湾部の一部に空き地が広がる(建物が撤去された跡)のですが、震災の事を知らない人だと気づきにくいかもしれません。
※当時撮影された動画を見ると津波は2m弱だったようです。塩釜は港の入口に島々があるので威力が弱まったのでしょう。

そのまま海沿いを北上していきます。なんか空に飛行機雲があるなぁ・・・と思いよく見てみれば、ブルーインパルスが訓練飛行をしているようです。走っていたR45をそれて、良く見えそうな場所を探してみます。
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思いがけないものを見ながら、ニコニコと北上を再開します。

ただ、少しずつ風景が変わり始めます。この写真はたぶん仙石線の野蒜駅のあたりだと思います。
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写真だと分かりにくいですが、仙石線が左側から走ってきて、画面中央のあたりでカーブしているところです。
線路は流されたのか撤去されたのかはわかりませんが、ありません。
それよりも、盛り土部分ズタズタにされています。。。

東松山市内に入ると、元々R45より海側は農地だった様ですが、何もありません。国道より内陸側は民家がありますが、普通の光景です。ただ、不思議なのは築数十年のような外壁がトタンの物置がなんともないのに、隣に家があったと思われる場所は土台だけだったりします。

空自の松島基地ではハンガーを作っているようでした。この基地も津波で多くの航空機が被害を受けています。
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そのまま石巻市内に入ります。だいぶ少なくなっていますが、こういう風景が見られます。
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右の建物は1階部分がダメです。注意してみると新しい建物が多かったり、2階建てで1階部分は何も家財道具が置かれていない建物が結構あります。そのまま港湾部を回ります。就職氷河期さんが石巻でステージの際に撮られた写真に衝撃を受けたあたりです。
確かにガレキは見当たりません。空き地は多いですが、壊された建物は注意してみないと分かりません。
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こういう建物の方が珍しいです。

240号線はこんな感じです。
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そのまま女川町にはいります。R398沿いはそれほど大きな被害をかんじさせる風景は見られません。ただ、注意をしてみれば、低い場所には複数の家の土台だけが残った場所が多くあります。

ここまでは震災を感じさせる建物等はそれほど多くなく、復興とは言えないまでも着実に前へ進んでいるという印象でした。
そう、ガレキの撤去や、壊れた建物の撤去が進んでいるのです。

でも、この光景を見た瞬間には涙を止めることができませんでした。
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そう、避難をする途中で津波に襲われ、多くの児童や先生方が亡くなったり行方不明になってしまった大川小学校です。
もう、ヘルメットを脱ぐ気力もありません。首を横に振る事しかできない。
この写真を撮った場所は、当時生徒が避難をするために向かっていたとされる三角地帯と呼ばれた堤防の上です。
この場所へ向かう途中、津波に襲われたそうです。この場所は小学校の屋根と同じくらいの高さです。津波はこの堤防を乗り換え、校舎の屋根をも乗り越えたといわれています。別の機会にまとめたいと思いますが、学校の対応については賛否あるようです。

そのままR398を南三陸町へ向かいます。途中、海岸線のそばに小さな橋が何か所もありますが、ほぼ例外なく流出したりしたようです。仮設の橋ばかりでした。
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橋がありません。画面の右側は端に向かっての坂になっていたはずですが、アスファルトの舗装どころか盛り土すらありません。かろうじてコンクリートの部分が残っているだけです。

南三陸町に走ります。はず最初はこの建物。後で調べてみたら4階部分すら波に飲み込まれたようです。
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そして、防災庁舎。
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ここではかろうじて10名ほどの職員の方が助かったようですが、同じく屋上に避難していた20名ほどの方が亡くなったり行方不明になっています。
周りには何もありません。空き地ばかりです。でも、震災前には隣に木造の庁舎があり、周辺には民家が立ち並んでいたようです。すべて流れてしまいました。

以前にも書きましたが、2005年頃に大手メーカーさんのシステムの一部という事でこの南三陸町にコンピュター端末納入したことがありました。不具合が起きてしまい、私は南三陸役場へ対応に行く予定になっていました。実際、出張する前に不具合が収束する方向だったため、現地へ行くことはありませんでした。
よって、直接面識があるわけではなかったのですが、南三陸役場の方とは電話でお話させてもらったりしていたのです。震災で南三陸町が被害を受けたと聞いて、とても他人事とは思えなかったのです。

南三陸さんさん商店街さんの写真店にあったパネル。震災前と震災8日後の比較写真です。何もありません。
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もう一枚、防災庁舎や病院を津波が飲み込んでいる写真がありましたが、とても私は写真に撮る事ができませんでした。